アレーティア
------------ ふいに斜め後ろの席が湧いた。 まったく騒がしいったらない。こんな小さな町がなんだってこんな状態になってるんだか。 「……今日は祭りか何かあるのか?」 その割には、少しもそういった様子は見えない。おれのつぶやきに、軽く笑ってアルが言う。 「違うと思いますよ。ボクたちの乗ってきた汽車が事故で立ち往生したせいで、一時的に人口が増えたからだと思います」 キシャ。 おれの脳裏に一度だけ聞いたことのある汽笛とかぶった蒸気の煽りがよぎる。 「汽車ってあれだろ、鉄の塊の……」 長生きはするもののような、するもんじゃないような。 「なんであんなばかでかいもんが走るのかおれには理解できねーんだよなー」 おれが首をひねる間、兄弟が奇妙な沈黙をまとった。 「じゃ、どうやってここまで来たんだよ」 どうも呆れられたらしい。そりゃ、馬車や船くらいなら貧乏人のおれでも乗ったことはあるんだけれど、基本は徒歩だ。だから、三日も人里に出られないなんて事態がざらに起こる。今日もまったくその三日ぶりの人里なんだった。 「歩く以外、何かあるか」 馬車に乗る金はないし、船は陸地を走らない。肩をすくめたおれに向けてきれいな金の目が丸くなる。 「し、んじらんねー! 今時汽車も使わずに徒歩で移動するやつがいるんなんて」 そう言われても、困ってしまう。言い訳がましく、探し物を理由にするしかない。実際、虱つぶしにでもしないとどうしようもない探し物では、ある。 「その探しものって、手がかりはないんですか?」 不思議そうに、問われるが。 「んー……あるような、ないような」 国も名前もわからない、それどころか、もうこの世に存在しない、そんなものの手がかりはあると言ってもいいものか。だいたい、それが何かっていうとおれの不確かな『記憶』だ。 「ボクたちも探しものをして旅してるから、何かあったら…」 子どもらしい甘い声がやさしく響いて、酒場の小さな灯りがかすかにゆらりとする。 おれの探しもの。これまでぼんやり思い描くばかりで、心の中で言い訳に使うばかりで、実際に言葉にするのは初めてだ。 「おれが探しているのは、人間なんだよ」 遥か、昔―― 「じゃあ」 「よせ、アル」 ほんの一刻、時間を共有したに過ぎない、ひと。 「兄さん?」 目を向けると、一見つまらなさそうに匙をくわえている。けれど、への字の口の端はひどく疲れて……どうもやっぱり呆れられているらしい。 (無駄な、足掻きがばれたかな?) 本当は、探すだけ無駄な探しもの。『探している』、その姿勢だけが支えの……。 「うん、兄ちゃんが正しいよ、アル」 見つかるはずもないのだから、手伝ってもらえるはずもなかった。 「おれが探しているのは――二百三十年前に生きてた人間だから」 二百三十年。 口にすると、それはいかにも空寒い。百の齢を重ねることすら数えるほどしかないこの世界で、おれは十四の頃と変わらないナリのまま、どれだけ歩いてきただろう! けれど。 確かに。 確かにあの人は…… そっと一度だけ首が左右に振られて、金の瞳が伏せられる。 それは、突き放しも拾い上げもしない意思表示。ちょっとした仲間意識のようなもの。一方的な好感を、おれはもう一度思い出す。そうして、意識を切り替える。割り切りは長生きのちょっとしたコツだ。 「逆におれ様がかわいいおまえさんたちの探しものを手伝ってやろう」 ろくでもないものを探してるんだろうってのは容易に想像がつく。 「こう見えても、物知りなんだぜ」 にかり、と笑ってやったら、人の悪そうな笑みが返る。 「蒸気機関の原理も理解できねーやつに、オレたちの探しものはわかんねぇよ」 「なんだぁ? 亀の甲より年の功、年上の知恵をバカにするもんじゃないぞ」 知識、じゃないところがミソ。おれは学は微塵もないが、ご老人の知恵袋系ならドンと来いだ。 もっとも兄弟は信用できなかったらしい。間を空けてからおずおずとアルが尋ねてくる。 「失礼ですけど、おいくつなんですか?」 待ってましたとばかりにおれは胸をそらして見せる。 「よくぞ聞いてくれました! こう見えてもニッ……」 百歳ですなんて言えるはずもない。 「じゅうろく?」 それでも、時の止まった年齢よりもちょびっとばかし、多めに言ってしまったのはご愛嬌だ。 「にじゅうろく!?」 二人の声がきれいに重なった。いくらおれでも十以上もさばを読む度胸はない(っていうか無理がある)。違う、と身振りも交えて否定すれば、思わず乗り出していた身体を引き戻した。 「それにしたって……」 ため息交じりの声で、兄貴の方がわざわざ机の下を覗き込んでからおれの頭の上まで視線を投げた。顔が優越感に浸って、それから天井を睨んで、無言のまま目をそらす。 「なんだよ」 右手の相棒と一緒にいて困るのは、まず第一に旺盛な食欲、第二に厄介ごとを呼び込む(巻き起こす?)性質、三番目に、『不老の呪い』。……いや、おれだってもう少し成長してからだったなら身長くらい止まってもそう文句はないんだが! 「どーせ、おれは小せぇよ、十四のときから伸びてねぇよ、文句あんのか!」 おかげで飯を食うにも、小銭を稼ごうにも思うようにもいかないときが間々ある。苦労と屈辱の数々を思わず思い出していると、鎧がとんでもない、と手を振った。 「兄さんはもうすぐ十五で、ボクは十四」 兄の方は十五にしては小柄すぎるし、弟の方はでか過ぎる。けれど、そんなことは思われなれているんだろう、面の向こうで苦笑した気配がした。兄の方は、残ったエビの尻尾をなんでか匙ですり潰している。 彼らがまだふたりきりで旅に出るような年ではないことに、おれは今さらながらに思い至る。普通、子どもは旅をしない。 「……いつから旅に?」 相手方もそのことに気づいたらしい。逡巡の後の質問は、おれが脳裏に描いたのと同じだった。 「んー……、十一のときからだな」 確か、そうだったはずだ。もう、遥かに遠い、朱色の記憶。 「どこからってのは聞いてくれるなよ? おまえさんたちの知らないところから、としか答えがない」 「そんなに遠くから?」 距離も時間も隔たりは膨大で。 「ああ、遠くからだ」 声に思わず畏れがにじんだ。 |