アレーティア
------------ 「兄さん、聞いてみようよ」 保護者は弟だが、最終的な決定権は兄が持っているらしい。短い沈黙のあと、金の頭が頷いた。 「……ん、ああ、聞いてみるだけならタダだしなっ」 どうせ知らねーんだし、と向けられる瞳は挑んでいるように鋭い。放り出された三叉匙が小気味よい音を立てた。 「オレたちは賢者の石を探してる」 「ケンジャの石」 それは、おれには少し馴染みの薄いおとぎ話。 『錬金術』――そんな絶えた技術を思い出す。 「どうしても必要なんです」 影になって見えないはずのアルの目が、それでも真剣みを帯びた。威勢のいい啖呵を切った手前、まさかひとつの答えもなく根を上げるわけにもいかない。 椅子に背を預けて、おれは無駄に蓄えた(古いものは翳み始めた)記憶を手繰る。それが持つ無数の別名、それを現す逸話、そんなものならいくつでも記憶の引き出しに入ってはいたが。 「……おとぎ話の類は要らねぇんだろ」 でこぼこな年子の兄弟。 理由なんぞ知らないが。 十四と十五。ふたり分足してもでもおれの七分の一程度。年長者としては役に立ってやりたくても、手持ちの札が及ばない。長く生きても所詮こんなもの、と心の片隅が寂しくなる。 「実がありそうなら聞いてもいい」 白旗を上げたおれを鼻で笑うかと思ったが、意外に真摯な返事が返った。 食事の間も外されない白手袋。 室内でも兜すら脱がない鎧姿。 ……魂が好物の相棒でさえ数を数えかねる絡み合ったふたつの命。 (イロイロある、か) 単純なくせに、容易くはない『生きる』ということ。 目を伏せてもう一度、賢者の石にまつわる話を思い出す。それはどれも『世界』との対話の体をなしてはいたが。 「……だめだ、お手上げだ。おれが知ってるのは、そいつがあれば…みたいな話ばっかで現実味がない」 そのもの、を探している彼らの役には立ちそうになかった。 完全なる物質――そんなもの、あるわけがない。と思ってしまうけれど。どうしても必要なのだ、とアルは言った。 見つかるはずもない、探し物。 なんだ、結局、おれたちは似たもの同士なのだった。 「例えば?」 この際なんでもいいと言うから、きりがないぞと一応は断ってから支離滅裂にあげてやる。おれには縁のない話という分類でしか整理していないから、思い出す順序は時代も場所もぐちゃぐちゃだ。 強欲な男の涙ぐましい話やら、それこそおれには理解できない原理の下にあらゆる特性を具えた石のうわさやら。伝説にもなるような石だ、両の手ではもちろん足りない。 「あーっ、待てまてまて、そりゃあいったい、いつのどこの話だ!」 いくつまで話しただろう、合いの手もなく聞いていた子どもが慌てたように差し止めた。とりあえず思い出す努力はしてみるが。 「んー? どこだっけか……忘れちまった。年は取りたくねーもんだなぁ」 覚えていないところはきれいさっぱり忘却の彼方だ。だいたい、いつどこで聞いた話なのかも定かでない。 「やぁ、悪いなぁ、えらそうに言っといて、根っからの文系なんだよ、おれ」 頭をかきかき謝るおれに、当の相手は上の空だ。 「……いや、情報は多い方がいい。いくつか役に立ちそうな話もあったし……」 おれにはわからなくても専門家(?)の彼らには何かわかることもあるに違いない。半眼で顎に手をやり情報をまとめているんだろう様は、すでに立派な賢者のようで。 (かなしいな、早く大人にならなきゃいけない、コドモ、か) おれみたいに、大人になれないってのもかなり切ないけどさ。 狭い酒場に奇妙な組み合わせ。厳つい鎧に温和な子ども、ちびの身体は真実を見抜く鋭さを持ち、ボケた中身が実は死神ときたもんだ。 料理はとうに空になり、皿は冷えて油が皮膜を作りだしている。おれたちの本当を気づく者などないだろうが、見た目だけでも奇妙さは群を抜く。少し長居をしすぎたらしい、片隅の卓子は静かに注目を集め始めている。 思索の海に潜っていた金の瞳がやがて、現実に帰る。 「………夢いっぱいの昔話に、夢のない時事ネタ話してやる」 等価交換、なんて耳慣れない言葉とともに。 「悪いことは言わねぇ、この国の中央には近づかない方がいいぜ」 唐突な忠告。 「なんで?」 思わず目を瞬くと、相手は逆に眇めて見せる。 「あんた、イシュバール人じゃないだろ」 「ああ、違う」 違うことはわかるけれど、一族が本当のところ何者だったのか、おれは知らない。おれがそれを知る前に、遠い郷里は炎の中で崩れた。村を構成していたすべては燃え尽き、残ったのはおれと右手の相棒だけ。わかることは少ない。残されたものを守らなければならないこと、そのためには逃げなければならないこと――それだけ。 「強いて言うなら、隠章の末裔ってとこだけど」 生と死を司る紋章、原理の力を託されていた村は、それゆえに滅びた。 だが、それももう、二百年も前の話。もとより隠れ暮らしていたから、当事者以外知る者などいない。 だから。 「隠された民?」 訳されて驚いた。 「……アル」 いまさら、おれは兄の方の名前を知らないことに気がつく。名の知れている弟に話しかけながら、興奮を抑えられない。 「おまえの兄ちゃん、すごいな!」 おれが呟いたのは、隠れ住み自らを他と比較して表す必要もなかったはずの一族が、それでも持っていた通り名。隠された性質を表す古いふるい滅びたはずの言葉。 彼は決してそれと知って問いを返したわけではなかっただろうけど。 ――まだ、滅びてはいない。 郷里は完全に消えたわけではないのだと……どれだけぶりか、目頭が熱くなってしまうじゃないか! すごいなぁ、すごいなぁと連呼するおれにふたりが呆然とするが、それでも一応重要なことはちゃんと聞いている。 「忠告はありがたく受け取るよ。どーもこの国に来てから視線が痛いはずだ」 今思えば、煙たがられていたのは子どもだという以上に、それが原因だったかもしれない。中央に睨まれてる民に似てるんじゃなぁ。 おれの平々凡々な容姿のどのあたりに問題があるのか、この国をあまり知らないからわからなかったが。そういうことなら、あまり悠長にもしていられないだろう。 「相席、助かったよ」 カンは期待を裏切らず、でこぼこ兄弟は気分をよくしてくれたし、久方ぶりにうまい飯だった。謝意は自然と声にこもったが、腰を上げると、兄貴が渋い顔をした。 「今から出るのか?」 「ま、仕方ねーだろ。……ひっさびさにまともな寝床で寝れるかと思ったんだけどなー」 この様子だと、どうも宿は取れそうにない。部屋を貸してくれる村人もいないだろう。 また山野を三日かなぁなんて思い描いていると、アルが明るく言った。 「旅人さん。ボクたちの部屋、寝台がひとつ、余ってる」 鎧の表情はわからないが、兄の顔はとんでもなく苦い。ちょっとその意味を取りかねて、兄弟の顔に視線を往復させていると、金の目が弟を気遣うように見て、意を決したように(本当に渋々)、地を這うような声を出す。 「何一つ聞かないってんなら、宿賃半分で譲ってやる」 きっと、余った寝台は彼らのイロイロの一端なんだろう。心底不本意、と顔に書いておきながら、それでも譲ってくれるっていうのは、随分とこそばゆい。 「……おれは疫病神だぜ?」 一方的だと思っていた好感は、なんと両思いだったらしい。 おれは人に死をもたらす存在で。 ナリはコドモでも、中身は化け物で。 ああ、今じゃ、こんな行きずりででももらう気持ちが唯一の支えだ。 おれはきっと情けない表情をしてたんだろう、相手が苦い顔を改めて一笑した。 「疫病神! 上等、どーせ今日はケチがついてんだ、来るなら来いってんだ」 立ち向かうことさえ忘れ始めているおれには、そんな彼らが少しまぶしい。若いっていいなぁ、なんて呟いたら馬鹿にするなと怒られたけど。 ※ 余った寝床の真相は誰にも言わないと約束しちまったから、あえてもう言わないでおこう。 ただ、やっぱり彼らはおかしくて、楽しくて。おれの歪みやすい心をなんとも言えず軽くしてくれたから(同病相哀れむとか、傷の舐めあいとか、そんなふうに言えなくもないが……単純に共感、それでいいだろう)、おれの秘密も少し話してしまった。右手の相棒のその伝承なら、賢者の石以上にネタは尽きない。 だから、せっかく借りた寝台も、明け方近くまで少し大きなやわらかい椅子代わりにしかならなかったが。 翌朝、眠い目をこすりながら別れた彼らが、どうぞ――真理に辿りつけますように。 ……祈る神はいないけれど、静かに祈る。 |