それは奇妙な二人づれだった。
 まず目に入ったのは、大きな鎧。今時骨董店でしか見ないようなそれは随分といかめしく、周囲から明らかに浮いている。
 次に見えたのは、その鎧すら霞ませる金の髪。三つ編みにされたそれは無造作に背に流されていたけれど、薄暗い酒場に場違いに映えた。
 けれど、実はおれが気になったのは見た目の話なんかではなくて。
(ありゃあ……なんだ?)
 食い意地にかけては人一倍意地汚くて、ゆえに獲物を違えることなんてあった試しのない右手の相棒が――数を数えかねている。
 一でもなく二でもなく、一であり、二でしかない。
(おもしろい)
 この国は、変な国だ。踏み込んでから幾度となく繰り返した言葉を、おれはもう一度胸内でつぶやいた。


  アレーティア


「そこをなんとか!」
 実年齢は二百をゆうに越えていても、見た目は自分に甘く見積もってせいぜい十五にしか見えない。酒場の店主が渋るのもわかる。わかるけれども翻せば、こんな時間に(日が暮れて一刻近くが過ぎている)おれみたいなのでも入れてくれるのは、結局酒場くらいしかないのだ。
 ここ数日、人里に出られなくておれの食事事情は著しく悪い。今日、温かい飯を食い損ねたらわけもなく人を呪いそうだった。(右手の機嫌は、人の食い物なんかじゃ絶対直ってはくれないが…ないよりはマシだ)
 小さな田舎の町だ、よそ者なんか目だって仕方ないだろうと覚悟して踏み込んできた店だったけれど、不思議とそう注目されることもなかった。規模に反した賑わいぶりだ。
 酒場の主人を絵に描いたような主は、太い眉を逆八の字に、口をへの字にしながらも、おれのささやかな要求どおり定食の盆を無言のうちに差し出した。粗末な木の板に乗せられた料理は、見た目も味も田舎風に違いなかったが、白い湯気を立てていて。
「ありがとう、おっちゃん! 恩に着るよー」
 ごついオヤジも神様に見えるってもんだ。
 料理を手にホクホクと席を探すが、あいにくどこも埋まっている。客の多くは、店の格より少し上、と見える。というか、田舎者には見えない者が多かった。
(祭りでもあるのか?)
 そんな浮ついた、ちょっと日常から足を踏み外した空気が店全体を覆っている。
 混じりやすくて、ありがたい。
 静かな日常におれは――右手の相棒は少しばっかり重すぎて逸脱しやすいけれど、相手が踏み外しているうちはごまかしも効く。
 さて。
 どこに混ぜてもらおうか、視線を泳がせたすぐあとに、咽る子どもが目についた。さっき見かけたふたつのうちのひとつ。
 苦しげに胸を叩くその左手には、食事中だってのに白手袋。
(決めた)
 子どもに子どもでちょうど良いし。
 水を求めてだろう、慌てたように立ち上がった青鎧に、おれの杯を差し出す。
「やる」
 なんとも都合よくきっかけをもらえたもんだ。親が受け取ると思っていたそれは、よほど苦しかったのか子どもの方に勢いよく取り上げられる。元気がよくて良い。なんて、おれは年寄りくさく思ったけれど、青鎧は恐縮したように大きな身体を折り曲げた。紡がれる謝礼と謝罪は、巨体に不釣合いに可愛らしい。
 おれの勘は近頃あまり外れない。このふたりはきっとおもしろい。せいぜい愛想良くしよう。
「いーって、たかが水だし。……って言っておいて図々しいけど、相席いいですか?」
 酒場はこれからが盛り上がり時。どこともなくあちらこちらで思い思いの笑声があがる。
 青鎧は少し周囲を見渡してから「もちろん」と、自然な動作でおれに自分の席を譲って子どもの隣に座りなおした。不服だったのは連れの方。
「アル!」
 喉のつかえは取れたに違いないのに、苦虫を噛んだような顔。髪と同じの金の瞳がいかにも嫌そうにおれを見た。しかし、ここで引いちゃあ元も子もない。
「水、やっただろ?」
 同輩に向けるような親しみを込めて笑う。一方的な好意でも、通じないことはないだろう。年の頃は、たぶんおれの見た目と同じか、下かその辺だ。その割りにキツイ目つきは、たぶん彼の聡明さ。油断すると、胡散臭さを嗅ぎ取られそうなほど。
「コドモが来るようなところじゃないぜ、ガキ」
 案の定、距離を測るような声は、年不相応に用心深い。
 だけど。
 おれに噛みつこうだなんて、二百年は早いよ、少年。
「おまえはお父さんがいてくれてよかったなぁ、チビ」
 空けてもらった卓子に盆を置いて、肩をすくめて見せると怒声が響いた。
「どぅぁれが、イスに座っても机の上に頭が出ない豆つぶか―――!!!!」
 青鎧はその行動を予見していたらしい。子どもが腕を振り下ろしたが、とっさに卓子はしっかり抑えられていて、食事は無駄にならずに済んだ。
「兄さんっ、突っ込むところが違うよ!」
「違わねぇーっ! ……いや、それもそうだけどッ」
 兄さん。
「あっはっはっ」
 ほら、やっぱりおもしろい。
「なんだ、兄弟だったのか」
 てっきり親子だと思い込んでいたおれは、まだまだ甘いなぁ。それも単純に身体の大きさで。
 わりぃと悪びれなく言ったら、立ち上がっていた兄貴の方がしかめ面は解かぬまでも座りなおした。
「……し、仕方ねーな、水もらっちまったから席くらい譲ってやる」
 こんなところは年相応。じいさんは思わず安心しちまうよ、兄ちゃん。
「違うでしょ、お水ありがとうございました、だろ?」
 さて、今日の献立は、芋の汁物に魚の煮物……あと、こりゃなんだ?
「う、うるせーな、それはさっき言っただろ」
 食ってみてもわからない。知らない食材だ。
「ボクがね?」
 うまけりゃ何でもいいんだが。
 兄弟は漫才のようなやりとりをおれの向こうで繰り広げている。ちらりと聞くかぎりでは、弟に軍配が上がりそうだ。
「おれはもうどっちでもいいぞー」
 だいたい、水は口実に過ぎなかったし。
 気のない言葉を向けたおれに、鎧改め弟はきっぱり首を振った。
「兄さんの教育上、よくありません」
 途端、兄が情けない声をあげた。
 正体不明の食材は飲み込んで、魚の尻尾をかじりつつ笑ってやる。
「オヤジじゃなくても保護者に変わりなかったな」
 情けない表情から、ひどい顔になった。弟がかしゃん、と音を立てて見下ろしたけれど、ぶすくれた様子を改めることもなかった。
 ようは甘えてるんだろう。
 少し、うらやましい。
「そういうおまえはホゴシャもなしに何してんだよ」
 相手はおれのそんな感想を知るはずもなく、三叉匙をくわえて、目も合わせずに、やたらむずかしいことを聞く。
「おれ? おれは―……」
 何をしているんだっけ?
 逃げているのは別に目的ではないし。はっきりと行く場所があるわけでもないし。彷徨って、二百余年。
「……そうだな、探しモノ、かな?」
 見つかるわけもないんだけれど。
 執着のあるものといえばそれくらいだ。
 煮え切らないおれに、問うた方が首をかしげた。
「自分のことだろ?」
「まぁ、なんだ、いろいろある」
 おれの人生は長すぎて、もう覚えてもいないことばかりだ。
 語れないことは話すもんじゃない。おれはごまかしに、口を好奇心に委ねる。
「アルだっけ。おまえさん、なんで鎧?」
 古びたそれは磨き上げられてきれいに光ってはいたけれど、おとなしそうな弟に似合う、とはわずかに言葉を交わしただけのおれですら、もう思えない。面まで揃った時代錯誤さは酒の行きかうこんな店にはもっと似つかわしくなくて。密かに、彼の前には食事の皿すらないことも心にかかる。
 兄弟はどちらともなく、目を合わせて、口ごもった。
「ま、なんだ、イロイロある……」
 結局口を開いたのは兄貴の方だったけれど、どうも、複雑な事情があるようだった。大変で面倒なのはおればかりではないのだと、嬉しくなってしまうじゃないか。
「人生そんなもんだよな! とりあえず、温かいまともなメシが食えりゃ、おれは満足だ」
 ひもじさを忘れさせてくれるものさえあれば、寂しさもそこまで執拗ではない。幾分冷めてしまったが、芋汁は胃にも心にもやさしかった。
 兄弟は、追及されなかったことにか息をついて、兄の方が行儀悪く大きな肉を口に放り込んだ。


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2005.10.13