彼女は何の力もない、それゆえ決まった寝床も持てない妖だった。 できることといえば、琴をつま弾くことだけだった。 宿賃代わりにつま弾いて、他者の縄張りをほんのわずか間借りする、細々とした暮らし。妖怪には粗野な者も多い。琴の音色など、雑音でしかない目障りだ食ってやる。と、そうすごまれることもいつものことで。休めぬ日もまた、多かった。 ――けれど琴を奏でていれば、幸せだった。 そのはずだ、と思う。 ぽろん、と弦が肯定するように唄を歌う。 ぽろん、ぽろんぽろん。 ある日、真黒な衣装をまとった編み笠の男が、彼女を尋ねて訪れた。 『主が琴をひとつ、ご所望だ』 能なしの唯一の取り柄を望まれて、否やのあろうはずもない。一二もなく参じて末席を賜り。 ぽろん、ぽろん。 (壬生様は偉大な、御方) 彼女は幸せと不幸せとを同時に覚えた。 今日のような風の強い日は磯月の森がざわめいて、音曲がかき消されてしまうのだ。そうなれば、彼女は何の能もない。 髪があちこち飛ばされて、琴の胴にまで無粋な風が忍び込む。 と、不意に風が止む。 驚いて振り返れば、大きな黒い背中がある。 「こんにちは、アカガネ」 返事はない。 初めの頃は、怖くて仕方がなかったけれど。……けれど、彼の優しさを知った今ではもう気にならない。 「今日は、曇っているから傘は大丈夫ですよ?」 腕利きの彼を、自分などのために煩わせるのが申し訳なくて、固辞したけれど。 「風が強い」 背中から声だけが届いて。 あぁ、いつまでもここにいられたら良いのに。 ぽろん、と指だけで呟いた。 |
八周年記念リクエスト、「アサギとアカガネのまったりしたイラスト」。 ……まったり? になってないかも知れません。面目ない… しかし、アサギとアカガネ大好きだー! リクエストありがとうございました 09.06.28 [ 戻 ] |