冷たい雨に暖かな


 鎧でよかったと思うときがある。
 たとえば今日みたいな雨の夜。うっかり町に着けなくて屋根のない夜。余分なものは持たない主義の(現実的に持ち切れないのもあるけれど)兄さんが野宿の道具なんか用意してるはずもないそんな夜。
 渋る兄さんを甲冑の胴に押し込む。
 これで少なくとも雨と風は防げる。季節もまだなんとか…凍えるほどではない(実際の気温はぼくには知りようもないけど)。
 鎧でよかったとそう思う。………鎧でさえなければこんな時間にこんなところで兄さんが雨に打たれる必要もなくなるのだけれど……それは言っても詮のないことだ。
 ぱらつく雨が身を寄せた樹の葉を叩く。聴覚と視覚が残されていることが純粋に嬉しい。
 ぼくは――ぼくたちはすべてを失くしたわけではなかった。それを忘れたくはないから、音を立てるものは好きだった。
「……それにしたって腹の中に何持ってんだおまえは」
 呆れた声は、それでもさっきまでの震えを堪えたものではなくて安堵を混じらせているのがわかったから、ぼくは遠慮なく安心する。
「毛布。役に立ったね」
 本当は予定通りちゃんと次の町に着ければそれが一番だったけれど、曇天に過ぎった不安がこの結果だ。ぼくは自分の予感が当たってなんとはなしに楽しくさえある。
(兄さんが小さくてよかったよ)
 窮屈だろうけど、息苦しいことはないと思う。そんなこととても声に出してなんて言えないけれど。
(いいこと探しはかあさんが得意だった)
 そう言ったら兄さんはどんな顔をするのかな。
「どんだけ準備がいいんだ…」
 鎧の内側は視覚できなかったから(どんな理屈なのかは兄さんしか知らない)表情を見て取ることはできないけれど、中から響く声はやたらくすぐったかった。
「いいだろ、別に重いわけでも邪魔になるわけでもないんだから」
 この声は中にはどんなふうに響くんだろう?
 決して得ることのない答えだけれど、やさしいものであればいい。
 悲しいばかりでないといい。
 ぱらぱら響く雨音は闇夜に溶けて打楽器を鳴らすようで軽快だったけれど、寒さを知れないぼくに風は感じられない。
「兄さん。狭くない?」
「べつに――………せ、狭いに決まってんだろ!」
「寒くない?」
「………大丈夫だっつったろ?」
 内側からこつこつと硬い音。触覚のないぼくを撫でる代わりに兄さんは音を立ててそれと知らせる。
「……眠れないなら子守歌歌ったげようか」
 暖かい布団にやわらかい寝具、明かりの落ちた暗闇にかあさんの
「アルぅ〜?」
「うん。歌っていい?」
 まろい声で奏でられた子守歌。
 二度と聞くことができなくてもかつて耳を撫でたその歌は、温度というものをまるで感じとれなくなったぼくを今でも暖めてくれる。
(兄さんだってそうだよね?)
 冷たい雨が降る夜、
 布団も屋根も何もなくても、
(思い出せば、いいんだ)
 それだけで暖かくなれる、ものがある。
 たとえ――現実にそぐわない精神論でも。逃避と紙一重の、感傷であっても。
「……歌いたいのか」
 ならば、いい、と兄さんは簡単にぼくに許しを与えて、それきりこそりとも音を立てなくなる。
 雨音を背景に、ぼくはひとり歌を歌う。


  ねむれねむれ、しずかなよるに

  まくろのそらにきんのほし

  つきよのそらにぎんのほし

  あめのよるにはわたしがあかりをともしましょう

  ねむれねむれ、かわいいあなた

  ほしぼしめぐりあさがくるまで


 ぼくは眠ることができない。夢を見ることもない。だけど、本当は知ってる。夢は眠らなくたって見ることができるし、精神を休める方法だってあることを。
(からっぽに)
 闇夜に溶けて空っぽに――そうすれば、眠ったことと同じこと。
 ただ。
 そう、ただ、ぼくは起きていることで、思索し続けることで生きているから……止めてしまったらその間、ぼくはただの鉄の塊だ。
 肉の塊――兄さんは眠っているけど、鼓動もあるし息もしている。
 鉄の塊は、呼吸できないし、鼓動もない。
 長い夜は嫌いだ。
 ひとりの夜は嫌いだ。
 もう、二度と朝は来ないんじゃないかなんて、
 すべて終わってしまったんじゃないかなんて。
(よわむしアルフォンス)
「あめのよるには」
 雨粒が、時の経過を知らせてくれているじゃないか。
「わたしが、あかりを………」
 兄さんの心臓が立てる音も、がらんどうに響いているじゃないか。
「……ともしましょう」
 それで充分。
 今はそれだけで充分。
(待つんじゃなくて)
 あかりを灯せ。
 頭を撫でて眠りにつくまで手を握ってくれた母さんはもういない。
 日が昇れば、覚醒を促してくれた母は、死んだ。
 だけど、兄さんがいる。
 あかりを灯せ。
 失った支えを嘆くんじゃなくて。
 ぼく自身が、支えになれるよう。
 夜がどんなに長くとも。

 こころに、ひかりを。



2005.12.24 [ ]
テントかなんかくらい、錬金術で作ったらいいんでは。
なんて、心無い突っ込みはしてはイケマセン。
材料が足らなかったんです!
(あと穴掘ったら?も、地盤がゆるかったんだってことで!笑)