箱 庭 の 幸 せ



 風が、吹き抜けた。
 広い庭園は春の気配に満ち溢れ、風は陽光に舞い、土は再生を歌う。
 知らせ、はもうあの人に行っただろうか?
 どこにいるかも知れない相手を見つけるのは、きっと容易ではないだろう。そうしてもし見つかったとしても、己はかつて騒動の種を撒いた張本人だ。来てくれる、とは限らないのだ。……眠る以前にわずかの時間語ったあの人は、決して――
(……まだ、落ち着かないのか?)
 おたつくような、己の心に彼女はとてもがっかりする。
 けれど同時に、同じくらい誇らしくもある。時間がたってしまえば忘れるような、そんな軽い想いではなかったのだと証明できて。

 殻を破って初めて会った生き物。
 ずっと、一緒にいてくれた――

 風の姿を失い、罪の代償として与えられた土の姿は、まだ慣れない。しかし、それでもかつての姿を知るがゆえに風は慰めるように吹きすぎる。今の姿を愛するがゆえに土は彼女の体に暖かみを送り込む。
 やさしい、やさしい父の国。
 深い、長い眠りより覚めて、慈愛のこもった両親の瞳に涙がこぼれた。
 どれほどの罪を犯したかわかっているからこそ、涙がこぼれた。
(それなのに)
 ああ、まだ、後悔と羨望は、癒されない……
 ため息を全身で吐くように長々と体を伸ばすと――尻尾が、気配を嗅ぎ取った。




「老けたなぁ、タギ」
 大きな龍の瞳を細めて、シェイラは笑った。
 鱗にさざなみが走ったから、本気で愉快がっている。音楽的なその響きは春の光に溶けて、どこまでも彼女が龍であることを証明している。それにしばらく忘れていた憧憬を思い出させられて、ごまかしに
「会うなり、開口一番がそれかよ」
 乱暴な口調で不機嫌に言い切り、タギは胡麻塩頭をかき混ぜた。
「わたしでなくてもきっとそう思うと思うぞ。父様には? 母様には?」
 入国した時点で、両親には彼の訪問は知れる。彼女にわからないのは、この庭が閉鎖された場所だからだ。(癒しの眠りを妨げるもののないようにと、今から三代前の国王から彼女へ贈られたものだった)
 予測どおり、親たちにも笑われたのだろう、タギが苦虫を噛む。
「おまえでも年を取るのだな、なんて笑われたよ。みんなして俺を何だと思ってるんだ、まったく」
 それは、龍の愛すべき者だと――そうは彼女は伝えなかった。
 代わりに龍らしく、しかつめらしい口元の笑みを返した。
「おまえほどに力にあふれたものでも、わたしたちほど長くはいないということを思い知らされる」
 どうしても、残されていく。
 ……それは人を愛さずにはおられぬ自分たち種族の哀しい定め。
「ばっか、俺ぁもう人の二倍は生きてるっての!」
 だから、悔いはないのだ、と誇らしげに笑う。
 春風のように心を騒がせていくその声を、尻尾を一振りすることでやり過ごして、シェイラは頭を地に下ろす。立ったままのタギと、目線だけはかつてと同じになる。
「そのくせ、タギは変わらないな。相変わらずわたしを敬うってことをしない!」
 もはやちび龍となど言えない自分であるのに、けれどタギはやはり庇護者なのだ。
「シェイラはシェイラだからな」
 かつてのように、頭を撫でてはくれないけれど、それでも。
 変わらぬ瞳色で彼女を写す。
「で、タギはタギだから? 孫とかひ孫はどうしたんだ?」
 連れてこいって言ったろう? 問いかけた彼女に聞いてないのか、と逆に尋ねた。
「何も」
(タギについては、なにも)
 眠っている間に、懐かしいすべては失われてしまっていた。
 そう、あまりに長い眠りに人は誰も待てなかった。
 いつも穏やかに微笑んでいた彼も、可愛がってくれた女王も、愛くるしかった王子兄弟も下町の彼らも旅の途中出会った――他の誰も。
 そのすべてを、彼女は両親から聞いたのだ。自らの罪のもたらした、非情な罰を、ただ頷くために。
 けれど彼については何一つ聞きはしなかった。
「なにも?」
「そう、なにも」
(アナタノコトハアナタノコトバデ)
 その生死すら、本当は聞きたくはなかった。
 けれど、長く眠りすぎた身体はすぐには動けなくて。
 会いに行く(会っても良いのか)、自信もなくて。
「しゃーねぇな、じゃ、手早く聞かせてやろうじゃねぇか」
 そう、笑う、顔が見たくて。



 ――ああ、自分が本当に罪を償うのはこれからなのだ。


 身振りさえ交えて、これまでの経過を語る男を(もう老齢の、本来ならこのように生気あふれているはずもない年の)眩しく思う心を大きな身の片隅に隠して、彼女は笑いに鱗をかき鳴らす。

 わずかに残された時の幸せを、響かせる。


H16.11.23


111111ヒット日向シキ様リクエストの龍と魔法使いです。
今ひとつ扱いがひどいかもですが、赤井はリデルよりシェイラ派です(笑)癇癪持ちの方が悲劇に酔いやすい人より好感を持ってしまう。のほほ。
一国の守龍に収まったシェイラが、これから幸せになれるといいなぁ…。というわけで、ヨールの旦那にはぜひ頑張ってほしいところ!
日向さん、楽しいリクエストをありがとうございましたっ。

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