*** 何もない、がほしいのです(23.10/14)
『なにもしない』。
――というのが、今年、主の望まれた誕生日の過ごし方、だった。贈り物を用意することさえ禁じられた。
いつかオレが望んだ誕生日に対するお返し(仕返しではない)だと仰られる。
師のお祝いは前日に盛大に(けれど奇数年ではなかったからごく普通に)行われたから、主の好きに、望まれるままにご用意してみせますと意気込んで告げたのに、かの人はあたかも(待っていました)と言わんばかりに「今年はなにもしないぞ!」と高らかに宣言された。
それでもなおあきらめ悪くせめて欲しいものはありませんかとお尋ねしたのに返ってきたのが先のお言葉で、これはもしやオレがどれほどボスの意を汲めるか試しておられるのか、などと思いかけたが、『友だち』の好意を量るような方ではない。
「なにもしなくていいから。用意も準備も要らないよ」
悪巧みとにこやかの中間のようなお顔は、オレの困惑は確かに理解しておられるからだろう。
「なにもないのが、いいんだ」
三度繰り返されれば、もうオレになど覆せない。
その決意に満ちたお顔の凛々しさたるや。
この人は最近、急にきれいになられた。もちろん、元々からずっとオレには最上の人だったけれど、とうとう周囲にまでも気づかれるほどに、というべきか。幼さの殻を破って、内面の芯の強さ、性根の清浄さが表に顕れたようだった。
以前ならオレが気づかないふりで主張を押せば流されてくれたのに、ごまかされてくれなくなった。
誇らしい――けれど、さびしい。
よほど情けない顔を晒したのだろう、オレの右手をちょんと引いて、笑った。
「代わり、というわけじゃないけど、獄寺君ち、貸して?」
どうぞもちろん喜んで! というほか、オレに選択肢があるはずもない。
* * * * *
いつもなら、部屋にお招きした際はうちにあるものをお出しするのだが、今日は飲み物すら道すがらお買いになってしまわれた。そのうえコップも不要、もとのペットボトルで良いそうだ。居たたまれないことこのうえない。
自分の下宿だというのに身の置き所なく三和土で足踏みするオレに10代目はようやくからかいを収めて苦笑いであお向いた。
「オレの望むとおりにしてくれるんだろう?」
ええ、ええ、そのとおりですとも!
それがまさか、こんなことだとは思いもしませんでしたが!
途方に暮れて動きあぐねるオレを見かねたのか、背を押し手を引いて窓辺まで導くと、座れ、と床を指し示す。
わからないなりに正座で畏まったら「違うちがう、もっと楽な姿勢でいいんだよ」と笑われて、座り直しさせられた。
「動いちゃダメだよ、獄寺君」
その瞬間、悲鳴を上げて飛びあがらなかったオレを誉めてほしい。
「動いちゃダメだよ」
まったく同じことをもう一度つぶやかれて、それきり10代目も動きを止めてしまわれた。
たぶん、オレの背中をじんわり温めているのは、たぶん――10代目のお背中。
オレの体温は一足飛びに三度は上がったんじゃなかろうか。背もたれにするには硬いだろうし、というか、オレ、まだ座布団もお出ししてないのに!
ちょっと待ってください、一旦停止で、と言いたいのに、繰り返された命令がオレを縛る――否、こつこつとした骨が当たって、ゆったりとした周期でちょっと力がかかったり軽くなったり。
そんな小さな力が、声を出すなとは命じられていないのに路傍の地蔵より無口であれと強要する。
その分、心臓が割れ鐘みたいにぐわんぐわんなって、脳みそからこぼれ落ちそうだ。動くなと言われた姿勢のまま、息をするのも怖々と抑えているのに、脈動ばかりはちっとも言うことを聞きゃしねぇ。
これっぽっちもボスの意を汲めずになにが右腕か、と自問するものの破裂寸前の血管が脳みそを圧迫してまともな考えなど浮かぶはずもない。
当然、時間感覚なんて宇宙の果てだ、ガチガチのオレに比して、10代目の呼吸の穏やかなこと!
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
落ち着くために数え始めて呼吸を追ううち、足先の日だまりに気づく。少し北寄りの窓だ、この時期届くのは日暮れ間際の一欠片。ねぐらに帰るカラスの影が向かいの屋根の上を過ぎる。空はまだ、青いと言えなくもなかったが、それもあとわずか。部屋は少しずつ冷え始めている。オレは馬鹿みたいに暑いけれど、ああ、せめてカーペットの上に座れと仰ってくだされば良かったのに!
オレからは、絶対に動けない。