それは別になんでもない日だった。
梅雨まっただ中の六月の末、その久々にほんのわずか晴れ間が見えた中休み、そんな日だ。
だらだらてれてれと、いつもどおり(嘘だ。こんな平和な日はそうそうない)並んで歩く通学路は、遠からず訪れる夏への期待を長雨にふやけた皮膚の下に隠していた。
それまでの会話をぶった切る勢いで放たれた言葉に、(やれ、この主はまたぞろオレを困らせる気だな――)とくわえていた煙草を指先でひょいと抓んで、整った顔を苦笑に染める。
かつて散々困らされた仕返し――というわけでは断じてないけれど、この、破天荒な親友を困らせてみるのがちかごろ秘かなマイブームなのだ。困りながらも、碧の瞳が楽しげに瞬くのがあんまり綺麗で、それ見たさにわがままを言ってみている、だなんてことはさすがに自分だけが承知していればいい事実だったが。
「理想のボスの資質を三つ上げるとしたらなに?」
いまだマフィアになることは断固拒否を貫いているのに、きっと立派な右腕になってみせますから! とご近所迷惑顧みない高らかな宣言を(どんな会話も油断をすると結論がいつもここにたどり着くのはどうしてだろう)するものだから、少々意地悪をしてやりたくなったというのもなくはない。
昨夜テレビで見た心理クイズをちょっとばかりアレンジして、本音を覗いてやれだなんて考えたのは、ただそれだけのこと。可笑しいだけのバラエティだったから、彼は絶対見ていないだろう。
思案げに(主の意図を汲もうというのか、条件について悩んだのか――素直な彼のことだ、たぶんきっと後者)軽く目を細めた横顔は、たった数日ぶりでも懐かしい気持ちを掻きたてる青空を背景に、ため息が出るほど格好いい。
年が明けたあたりからそれまで並程度だった成長を一気に加速して、あれよと言う間ににょきにょきと伸び、それまでだって充分あった差をさらにあけられてしまったから、隣立って歩くと首が痛いのだ。……だが、並ばないという選択肢も、顔を見ずにいるということもできないのだから、甘んじて耐えるしかない。
今に追いついてやる、とそれはさておき、振り仰いだ先で今日も彼の秀麗な顔は絶好調にうつくしい。
ひどく答えあぐねているようだったから、さて、これはオレを引き合いに出すわけにもいかなくて(なんせダメツナ街道まっしぐらだ)苦慮しているなと思えたから、「一般的な話でいいよ? ディーノさんみたいだとか」(といきなり固有例を挙げた矛盾には気づかなかった)と促したら、一寸ちらりと視線を寄せて、声には出さず非難を寄越した。たぶん、曰く『へなちょこなんて!』だろう。
いくらか前に、成績や運動神経、ちょびっとのスケベ心はボスの資質とは関係がないだなんて言っていたけれど、『理想』でくくればどうだろう?
「みっつ、だけですか?」
「うん」
念押しに、軽かった気持ちをじわり、と不安が食ったけれど、取り下げるにはもう遅い。獄寺が煙草を口に戻して、指を三本用意する。
「では……『野心』」
人生平和が一番、日和見の事なかれ主義万歳。
「『公平』」
目前の事象くらいしか、手に負えない。見えないものは、考慮の外だ。
「『柔軟性』」
押しに弱い軟弱者で、心の芯はいつだって折れやすい。
「――ですかね?」
指は一本ずつ折られて、どれひとつとして持ち合わせがないことに、苦笑を通り越していっそ今日の空のようにスッキリだ。
好奇心は慎重な猫さえ殺すのだから、いわんや不用意なダメツナをや、だ。これは、家に帰ってわんわん泣こう――染み付いた作り笑いの下で後悔に身を炙られながら、こぶしに戻った手を所在なげに振る相手に、続きを告げる。
「じゃあさ、その三つを全部持ってる人がふたりいるとしてさ」
(オレはどれも持ってないけどね!)
「どちらかひとりをボスに選ぶとしたら、獄寺君はさっきの三つのほかに何を理由に選ぶ?」
(ボスにはならないと言いながら、なれないとなると寂しいオレは大ばか者だ)
脳内のひとりボケツッコミ劇場は大忙しだ。
顔なんか、もちろんもう見ていられない。きっと死刑宣告になるだろう、最後の条件には耳を塞いでしまいたい。
今のうちに少しでも家までの距離を詰めておこうと短い足を懸命に送って……連れが遅れたのに気づくのに遅れた。
「獄寺君?」
数歩後ろで、彼は途方に暮れた顔。
「どうかした?」
というか、怒って見える。珍しい。
「10代目はふたりもいません!」
「へ?」
「ですが、オレが選ぶなら、10代目……沢田綱吉さんです」
めったに向けられない不機嫌な声。口まで拗ねて尖っている。
「……理想のボス、の話だよ……?」
「みっつだけって仰ったのは10代目です」
「えええええ? さっきのってオレのことなのー!?」
まさかそんなことがあるものか、と思うのに、五歩向こうで当たり前です、と彼は吠えた。
どれだけのフィルターをかければ、ダメツナがそんなふうに映るの、そのきれいな碧の瞳は実はもしや作り物か! と口に出せないような失礼な言葉が脳内を駆け抜ける。
なのに。
「オレはあなたしか選びません」
選ぶ理由は『沢田綱吉』、だなんて。
見損なっていたのはオレか、と白旗を揚げて降伏した。