過去拍手履歴 025/2014.12.02-12.31



 ひどく近くでカァと聞こえたと思ったら、一拍後にはもっと吃驚するような音を立てて引き戸が開いた。
 驚いた拍子にやかんをいささか大きく揺らしてしまったが、被害のないことを目の端に収めて「ちょうどいいところ!」と振り返って笑ってみせる。
 戸口に立つ獄寺は、思ったとおり逆光にも顔色が悪く見えた。
 失敗した。
 舌打ちが出かけたが、くそぅカラスめと肚の中でごちるに止める。
「これあけてー」
 さしもの彼も寝起きの脳は多少回転速度が落ちるのだろう。青ざめた面が土下座に移行する前に頼み事を滑り込ませることに成功する。ていくざぽっととぅざけとる! ついでに母親がいつも唱える謎の呪文を付け加えたら何はともあれ飛んできた。
 紅茶のパック(いつだったか沢田家から持ち込んだもの)の包装をむしり取って、綱吉がだばだば湯を注ぐマグの中にそっと器用に滑り込ませた。
 リボーンあたりなら、手順が悪いのなんのと小言と小突きのひとつももらっただろうが、獄寺相手だ。そうはならない。
「ありがと」
 カラスに不意をつかれた分を取り返すために先制を決めていく。
 だって、悪いのは綱吉なのだ。彼に謝らせるわけにはいかない。手早くやかんを五徳に戻して、マグのひとつを押し付ける。厚い陶器を透るじわりとした熱は手のひらにやさしく、演技でなく綱吉の頬を緩ませた。
「はい、君の分」
 紅茶を飲んでいるところなんて記憶にないほど見かけないが、嫌いってことはないだろう。たぶん。
 まだ目が醒めきらないのか、たたみかけた攻撃がきいているのか、彼はうっかりとマグを受け取ってそれからようやく何かに気づいた顔をした。
 ここはもうひとつ先んじておこうと、無用を承知で聞いてみる。
「砂糖いる?」
 聞いておきながら、自分用のお茶に残り少ない角砂糖をみっつばかしぽいぽいと放り込んでおく(コーヒー用の茶色いのだったが、甘くなればそれでいいのでなんでも良かった)。
「いえ、オレはいらないです、けど」
 けど、なんだ、獄寺隼人。
 ぼちぼちダメツナの馬脚の顕れる頃合いかもしれなかったが、それでもあいにく、今日の綱吉は彼の自由にさせる気はさらさらないのだ!
「たまには牛乳のないのもいいかも」
 行儀悪く立ったまま中身を啜って、彼が言いそうなことをつぶしておく。案の定、冷蔵庫に走らせた目をわずか安堵に緩ませたので内心ガッツポーズだ。
 台所から居間兼食堂兼寝室(要するに1Kの居室側)に獄寺を押し出すように戻る。
 湯を沸かすわずかの間にも暗がりが狭い部屋を制圧しつつあったが、一日いい天気だったから陽光の名残が隅にちょっぴり残っていた。
「もーすっかり日が暮れんの早くなったよなー」
 少し前まで七時ごろまで明るかったのに! と視線を窓に誘導しておいて、床に落ちていたブレザーをそっと回収する。それはさっきまで着せ掛けていた人物の(遠まわしに言う必要もなく獄寺の、だが)体温を移してほんのりしていて、下がり始めた室温に反比例して、心を緩ませた。
 が、残念ながらうまくいったのはここまでだ。

 ――くしゃん!

 カラスのカァの比ではなかった。
 高い位置にあったはずの獄寺の頭があっという間に足元だ。
「申し訳ありません、10代目ぇぇえぇー!!」
 あなたをお祝いするべき日に! なんのおもてなしもしないどころか(それは仕方がない。なんせ綱吉が禁止したのだから)、居眠りをした挙句あまつさえ上着を頂戴してしまうとは!!!!
 平伏した床から届く声は、血が滲みそうな勢いで涙混じりだ。
(くそぅ、カラスめ)
 こうならないよう、目を覚まさないうちにそっといってそっと戻る予定だったのに。
 嘆息はぐっと飲み込んで、獄寺の前に座り込む。
「ごくでらくん」
 名を呼んでも、肩を揺らすばかりで、薄簿にも光る銀の髪しか見せてくれなかったが。
「君はちゃんとオレの欲しかったものをくれたよ」
 ありがとう、を言えば、恐る恐るといった風情で瞳が覗いて。
 その淵色に映るには残念ながらもう光量が足りなかったけれど、たぶん、オレは上機嫌な顔をしているはずだ。と綱吉は思う。
 獄寺が、欲しかったもの、どころか、それ以上をくれたので。
 そこでついつい調子に乗ったのが運の尽きだ。

 オレもたいがい欲深い。

 情けない自覚は冷めた紅茶で飲み下して、やっぱりカラスが恨めしかった。



三千世界の仇に告ぐ




[ ]